
「高専を卒業すれば、一生安泰だと思っていました。」
はじめまして、betterkisoを運営しているとたんです。 僕は現在、明石高専(都市システム工学科)を卒業し、大手製造業の子会社で働いています。
20代で1,980万円のマイホームを購入し、現在は妻と子供と3人で、転勤の不安に怯えることなく穏やかな日々を過ごしています。
しかし、僕のキャリアのスタートは、決して順風満帆ではありませんでした。 むしろ、『新卒入社した会社をわずか4ヶ月で離職する』という、絶望的な挫折から始まったのです。
憧れの設計職のはずが「経営者の便利屋」に。4ヶ月で辞表を書いた理由


明石高専で学んだ土木の知識を活かして、かっこいい図面を描きたい。
そんな希望を持って入社した1社目は、兵庫県内にある小さな設計事務所でした。しかし、そこは「設計」とは名ばかりの、家族経営による超ワンマン組織だったのです。
僕を待っていたのは、専門スキルを磨く日々ではなく、経営者のプライベートにまで踏み込んだ「雑用」の毎日でした。
設計図面ではなく「社長の子供のテスト」を解く日々
最もショックだったのは、本来の業務とは無関係な「家業の便利屋」として扱われたことです。
お昼休みや休憩時間に、社長が子供の教科書を持って僕のデスクにやってくるのです。「これ、教えてやってくれないか?」と。高専で必死に学んできた高度な数学や物理の知識が、社長の子供の定期テスト対策に消費されていく。
「自分のキャリアは、ここで一体どこへ向かっているんだろう?」と、情けなさで胸がいっぱいになりました。
会社主導の「実務経験の創作」と、求人票との乖離
さらに、資格試験に関するコンプライアンスの低さにも絶望しました。
土木施工管理技士の受験資格(実務経験)がない社長のために、僕がゼロから実務経験を「創作」して代筆させられる……。専門職としての誇りを踏みにじられるような経験でした。
また、「転勤なし」と聞いていたのに、知り合いの会社へ「出向」という名目で飛ばされるなど、求人票に書かれていた条件はことごとく無視されていました。
恐怖の「ノー残業代デー」という独自ルール
極めつけは、社内の謎の労働ルールです。毎週水曜日は「ノー残業代デー」と設定されていました。
これは「早く帰れる日」ではなく、「何時まで残っても残業代が発生しない日」。定時が過ぎても誰も帰らず、サービス残業が当たり前のように行われる環境でした。
自分の時間も、キャリアも、精神も削り取られていく。そう確信した僕は、入社わずか4ヶ月で、次が決まっていないまま辞表を提出しました。
絶望からの再起。明石高専の「ブランド」と「コネ」を使い倒す

次が決まっていない状態での早期離職。「4ヶ月で辞めた人間を雇う会社なんてあるのか?」という不安で、夜も眠れない日々が続きました。
しかし、僕は独りで悩むのをやめました。明石高専という、これまで自分が積み上げてきた「環境」を最大限に活用することに決めたのです。
母校の先生を味方につける。自分一人で抱え込まない勇気
まず僕がしたのは、母校の先生に会いに行くことでした。
「早期離職はキャリアの終わり」だと思い込んでいた僕に、先生は事情を親身に聞いてくれました。当時の会社にOBがいなかったこともあり、幸いにも学校側への悪影響を心配することなく、純粋に僕の「次のステップ」を応援してもらえることになったのです。
この「母校を頼る」という選択が、後に僕の人生を大きく変えることになります。
一度は諦めた「大手製造業のグループ会社」への再挑戦
実は、今の会社(大手製造業の100%子会社)は、学生時代のインターン先でもありました。当時は企業再編のタイミングと重なり、採用枠がなくて一度は諦めた場所だったのです。
「もしかしたら、今ならチャンスがあるかもしれない。」
そう思った僕は、先生に「あの会社、いけませんかね?」と相談しました。先生を通じて話を通していただき、本来なら厳しいはずのチャンス(面接)を掴み取ることができたのです。
正直さが武器になる。面接で伝えた「早期離職」の真相
面接では、当然ながら「なぜ4ヶ月で辞めたのか」を深く突っ込まれました。
僕は変に取り繕うのをやめ、1社目で起きた事実を正直に話しました。
- 職務内容の乖離: 「設計職」として採用されたが、実態は塗装や発注作業などの「現場事務・軽作業」が主であり、技術者としてのキャリア形成が困難だった事実。
- 労働条件の乖離: 「地元勤務・転勤なし」が条件だったが、入社早々に遠方への転属話が浮上し、当初の契約が前提から崩れてしまった事実。
家族経営の便利屋として扱われ、このままでは技術者として成長できないと危機感を感じたことを正直に伝えました。
「次は、一つの場所で腰を据えて、専門性を磨きたい。」
その正直な言葉と、高専時代のインターンでの評価が結びつき、僕は無事に内定を勝ち取りました。明石高専卒という肩書きと、学校が守ってくれる「コネクション」の強さを、身をもって実感した瞬間でした。
会社の福利厚生という名の「見えない鎖」に気づく

再就職した大手企業。そこはホワイトで、給料も安定していました。特に家賃補助の手厚さは衝撃的で、家賃と駐車場代を合わせても実質月2.4万円。20代の若手にとっては、これ以上ない最高の環境に見えました。
しかし、入居して半年。僕は生活の便利さと引き換えに、ある「恐ろしい事実」に気づいてしまったのです。
「住居」を握られることは「人生」を握られること
それは、住む場所を会社に委ねている以上、僕は一生会社に逆らえないという現実でした。
多くの会社員にとって、社宅や家賃補助はありがたい制度です。でも、裏を返せば「会社が認めなければ、今の住まいは明日にもなくなる」ということ。この依存関係がある限り、自分の人生の主導権は自分にはありません。
上司の一言で変わった「自立」への覚悟
その危機感が確信に変わったのは、上司との面談でした。「転勤もないとは言えないからな」という言葉を聞いた時、背筋が凍る思いがしました。
もし今、転勤を命じられたら? せっかく築いた家族との生活も、住み慣れた土地も、会社の一言で全てリセットされてしまう。このまま補助(エサ)に依存し続ければ、自分と家族の人生の手綱を、ずっと会社に握られ続けることになる。
「会社に依存するのをやめ、自分の足で立つための『拠点』を持とう」
そう決意した僕は、入居わずか半年で、社宅を出るための「住宅戦略」を練り始めました。
会社から自立するための「拠点」と「盾」を手に入れる

「会社に人生の手綱を握らせない」と決めた僕が取った行動は、極めて具体的で戦略的なものでした。それは、物理的な「拠点(家)」を構えることと、それを守るための「盾(資格)」を持つことでした。
25歳の決断。震える手で押した「35年ローン」のハンコ
まず着手したのは、会社に依存しない住まい、つまり「マイホーム」の確保です。 25歳の時、僕は中古物件を1,980万円で購入しました。契約書にハンコを押すときは、手が震えるほど怖かったのを今でも覚えています。「本当にこのローンを払い続けられるのか?」という不安が、何度も頭をよぎりました。
しかし、月5.2万円という、社宅時代とさほど変わらない固定費で自分の城を手に入れた1ヶ月後。これまでにない解放感を感じました。 「これで、僕は自分の意思でここに住み続けられる。もう、会社の言いなりにはならない」 この低コストな拠点が、僕の精神的な自律の基盤になりました。
資格は「勉強」のためではなく、自分と家族を守る「盾」
同時に、この拠点を守り抜くための武器として「エネルギー管理士」の取得に挑みました。しかし、最初から志が高かったわけではありません。
実は、会社から取得を命じられた当初、社宅住まいで危機感のなかった僕は「めんどくさいな」としか思っていませんでした。当然、勉強もせずに試験を受けに行き、結果は不合格。やる気すら起きない日々を過ごしていました。
転機が訪れたのは、あの「転勤」の話が出たときです。 必死に生き残る道を調べる中で、エネルギー管理士が「工場の専任者」という強力なカードになる事実に気づいたのです。「これがあれば、会社に居場所を固定できる。転勤に対する最強の拒否権(盾)になる」と。
そこから僕の戦略的なハックが始まりました。 土木出身の僕にとって、電気や熱力学を一から独学するのは効率が悪い。そこで、国家試験ルートではなく、実務経験を活かした「認定講習」から修了試験を受ける方法を見つけ出し、会社に交渉して受講することになりました。
認定講習の演習問題と過去問を徹底的に周回し、無事合格。 「勉強のための勉強」ではなく、「自由を守るための手段」として資格を捉え直したことが、僕のキャリアを決定づけました。
これは単なる資格取得ではなく、「どうすれば最小努力で最大の結果を出せるか」というハック術の第一歩でした。
この「受験資格をどう解釈し、会社に認めてもらうか」という経験が、後に僕のブログの核となる知恵になりました。
会社に人生を預けない、本当の「自由」を手にした今

あの時、震える手でハンコを押し、必死に「盾(エネ管)」を手に入れた結果、僕の生活は一変しました。
25歳で1,980万円の家を買い、当時のローンは月5万円ほど。最近は金利が少し上がり0.625%ほどになりましたが、それでも月々の支払いは5.2万円。社宅時代の家賃とほぼ変わらない固定費で、自分たちの拠点を守り続けています。
何よりの財産は、二人の娘が誕生し、家族4人で笑って過ごせる「変わらない日常」です。
今の僕は、会社に振り回されることはありません。
- 自分の意思で選んだ場所に住み続け、
- フレックスや在宅勤務をフル活用して育児に参加し、
- 年に1〜2回は家族旅行を楽しめる精神的・経済的な余裕がある。
「会社に言われたから」ではなく、自分の足で立ち、自分の戦略で選んだ生活だからこそ、これ以上の安心感はありません。
一度の失敗で人生は決まらない。キャリアを逆転させる「4つのステップ」


「高専を卒業して、すぐに辞めてしまった。もう、まともなキャリアは歩めないんじゃないか。」
早期離職した直後の僕は、本気でそう思っていました。でも、今の僕は断言できます。 「正しい戦略」さえあれば、高専卒のポテンシャルを活かして、いくらでも人生は逆転できる。
僕は特別なエリートではありません。家族経営の闇から逃げ出し、母校の先生に助けを求め、資格の制度をハックして、今の「家」と「安定」を手に入れただけです。
僕の経験を「再現性のある知識」として届けたい
このブログ『betterkiso.com』は、僕が泥臭く経験してきた失敗と成功の記録です。
- ブラック企業から脱出するための考え方
- 高専卒という肩書きを最大限に活かす再就職術
- 最小限の努力で「盾」になる資格を手に入れるハック術
これらは、かつての僕と同じように「今の環境が辛い」「将来が不安だ」と感じているあなたにとって、必ず役に立つ武器になると確信しています。
まずはここから。キャリア逆転へのロードマップ
人生を好転させるのは、一発逆転の奇跡ではなく、「今、何ができるかを知り、動くこと」です。
僕がゼロからマイホームを手に入れ、大手グループで安定を掴むまでに辿ったプロセスを、「キャリア逆転・4ステップ・ロードマップ」としてまとめました。
- 【現状把握】 自分の市場価値と高専卒の強みを再認識する
- 【環境改善】 転職・再就職で「戦えるフィールド」へ移動する
- 【武器の取得】 資格(エネ管・公害防止等)をハックして盾を作る
- 【自由の獲得】 組織の中で「代わりの効かない存在」になり、生活を守る
「今のままでは終わりたくない」 そう思うあなたの背中を、僕のこれまでの経験が少しでも押すことができれば、これほど嬉しいことはありません。

